昭和50年12月1日 特別奉修委員  入力者松本正宏


 神様をいよいよ身近に感じれるようになり、信心とは、そこに焦点が置かれるわけですけれども、最近私はあの、生神金光大神とお唱えする時に、本当に神からも氏子からも両方からの恩人は此の方生神金光大神であると仰る、そこのところが非常に実感的に生神金光大神様天地金乃神様と同根としては、一緒のたくりのものに感じておったのですけれども、この頃は本当にあの、私共の大恩人としての生神金光大神というだから、生神金光大神と唱える時に大恩人としてのお礼を心から申し上げねばおれない感じがするのですね。ですから生神金光大神がより身近になってこられたという感じがしますね。ですからね、やはりあの、工夫ですけれども、今御祈念前にあの、熊谷さんお届けされますのに、本当に万事万端素晴らしいタイミングの中に神様をそこに見るようだ、そこに聞くようだとあの思うておりましたが、あの、自分の意のままにならない時、思うようになっていない時に、そこに神の声を聞かせて頂くということがありがたいという御届けをなさいました。
 素晴らしいことですよね。これやっぱ信心がそこまでやっぱ進まないとやっぱり駄目です。もう自分の思うようになっていない時、神様がとうのいてから神様がおかげ頂かせきらさんような感じで、遠のいたものになっていく。そういう時程厳しく神の声をそこに聞かせて頂けれるような信心を頂いて(?)
 皆さん本当に生神金光大神は神からも氏子からも双方からの恩人此の方金光大神ですね。生神金光大神、本当に生神金光大神なかりせばというのであり、(?)でなけてはなくて、大恩人としてのね、あの、お礼を申し上げてそこから、あの身近なものを感じますね。神様をいよいよ身近に感じれれる(      ?     )昨日、衝動的なありがたさという(    ?    )やはり本当にこちらが(   ?   )ある時でなからなければ頂けない。神様が躍動なさっておられる時ですからね。だから本当に衝動的なありがたさという事を、私の過去の信心で聞いて頂きたい。もう福岡から今から行ったんじゃもうバスもなからなければ甘木行きの電車も無い事が分かっておっても、やはりお礼にでらなければおられない。それも、教会から帰ったばっかりのところですよ。けれども、そこにおかげを感じた時にやっぱりもう衝動的に宮の陣まで来ております。で、宮の陣から善導寺のところ、歩いて帰ってきた。歩いてお礼参拝させてもらった。そういう時にどういうその、おかげになっておるかというと、もう帰ってみたところが、父が一生懸命に(     ?    )しよる時であるといったようなね事に繋がっておる。だからおかげというものは、もう生き生きとしたおかげというものはそういう、衝動的なありがたさといったようなものが、もうよかよか明日どんお礼に参ろうというのであったら、それで出来んことはなかろうけれども、それは本当のおかげにはならん(  ?   )神様をいわゆる本当に身近にひしひしと感じれれるという金光様を唱えた、勿論唱えただけではない、私共の私の大恩人としての金光様である。金光様を唱える。そして天地金乃神様のおかげを受けられるようになったというおかげを下さるのは天地金乃神様(?)天地金乃神様へのお礼という(     ?     )。
 昨日あの、雑餉隈から参ってきておられる方があったんです。前も一回参ってきた事があるんです。それがあることを御願いして、どいうような心の状態になったらおかげになるじゃろうかという御届けがありまして、(?)させて頂いたら、林さんの従兄弟さんだった。ね。そこで、久しぶりで会うたというてからそこで話してからね、そげな事じゃったですかというた事でしたが、その芸術の芸という字を頂くのですよ。草冠に云うという字ですね。云うという字。ですからあの、宗教は、信仰は芸術なりという人すらあると思います。やはり芸術家が美の追求をする事にあの、一生懸命精進するようにね、いわゆる、信心はやはり、ありがたしの追求です。ですからそのありがたしの追求ていうたら限りが無いです。けれども、私その、昨日朝から昼頃まで感じたことですけれども、そのありがたしというてもですね、本当にあの、異質なものになる事があるですね。寒い時に寒さじゃなくてから、痛くなるでしょう。飛び越えたら。ああいうものがあるですよ。あり難いには。ああいう時には私は危険だなあと思うた事が思いました。ですから、あの辺のところをやはりありがたしというものは衝動的に、例えばあの、そう今まで出来なかったことが出来るとか、今まで改められなかった事が改められるという風に頂かなければいけない。一つ間違えるとですね、きちがいのなるちゃあげな事じゃないかと思うですね。
 もうとにかくあの、寒い冷たいというのが通り超えると痛くなってくるようなものがあるですね。中々色々本当に間違えずに信心をさせてもらわにゃ結局ありがたしの追及、ね、神様はもう試練はいつもそのものを言うて下さってある。それはあり難いときだけではない。今、熊谷さんが言われるように、思いのままにならないときほど本当は厳しいお言葉があるわけでしょうけれども、それを一つ(  ?  )ね。